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菅谷館跡の散歩

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瞬間子

瞬間子

Logger since : 497 days ago.

Upload date 25 01 2010
views. 145
Logged date 24 01 2010
Start point 36.03685,139.323898333
via point 36.0356516453,139.321839363
End point 36.03751,139.323135
Distance 2.98km
移動時間 2261秒
Avg./Max. speed 2.74km/h ・ 6.35km/h
Avg./Max. altitude 90.26,112.3
Tags

1205年(築城年代不明)には、鎌倉幕府御家人畠山重忠の居館であった。
父重能の代から大里郡畠山荘の荘司で、重忠も同荘内に館を置いていたが、鎌倉街道の要衝にあたる菅谷の地に移って館を構えた。
重忠は保元・平治の乱以後、平清盛に仕え、1180年に源頼朝が挙兵した石橋山合戦では平氏方につき、衣笠城を攻めて三浦義明(母方祖父)を討っているが、父・重能の諭すところもあって、石橋山合戦の一ヵ月後には源頼朝に仕えるようになった。
1184年、源義経に従い木曾義仲追討の先陣として宇治川合戦で活躍、また同年の一の谷合戦においては、鵯越(ひよどりごえ)の逆落しで自らの愛馬「三日月」を背中に背負って崖を駆け下り、周囲の鎌倉武士たちも唖然としたという。
重忠は数々の華々しい軍功を挙げたが、頼朝の死後、1205年に権力の座を狙う執権北条氏の手によって武蔵二俣川にて謀殺された。
1488年頃に山内上杉家が扇谷上杉家方の河越城に対するおさえとして、菅谷の旧城を再興し、山内上杉家の拠点として使われる。
その後のこの館に関する情報が少なく、後北条氏進出以前に廃絶したとする説と後北条氏の傘下の武将が配置され拡張された説があるが、発掘調査からは、後北条氏時代の遺物が出土しておらず前説の方が有力。